何度でもだまされる人たち
いつも読ませて頂いている中村篤史先生のnote。今日の記事(「これから世界はどうなるか」)では憂鬱な将来が語られています。
1942年7月8日ユダヤ人は以下の公的施設へ行くことを禁じられた。
レストラン、カフェ、劇場、映画館、コンサート、博物館、スポーツイベント(参加者としても観客としても)
そして、現在のフランス。
ワクチン未接種者が1942年当時のユダヤ人と同じ状況に???!!!
日本も同じ道をたどるのでしょうか。
私はこの騒動が始まったとき、なんであんなあからさまな嘘にだまされるんだと驚き呆れました。
「真夏でもマスクなんて言われたらさすがに怒るだろう」と思ったのに、みなさんものすごい忍耐力。
「重大な副反応が出ればさすがにワクチンは拒否するだろう」とも思ったけど、なぜか拒否しない。
太平洋戦争が終わった後、「同じ過ちは繰り返さない!」と口々に叫んでいたはずなのに、結局繰り返しています。
どういうこと?
その答えを伊丹万作さん(映画監督であった伊丹十三さんのお父上で、やはり映画監督であった方)が端的に説明されていました。
以下、「戦争責任者の問題」という『映画春秋』(創刊号・昭和21年8月)への寄稿文から一部引用します。(太字は転載者=Norah)
(前略)
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたものが必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
(中略)
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
(中略)
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじゃく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
(後略)
何度でもだまされる。まさにそうですね。
- 恐ろしいウイルスが来た~
- マスクだ~
- ソーシャルディスタンスだ~
- 3密を避けろ~
- 外出自粛しろ~
- 飲食店が感染源だ~
- ワクチンを打てば元に戻れるぞ~
- 2回打っても感染・重症化するから3回目だ~
- ワクチン普及のためにはパスポートの導入だ~
まだまだ続きそうな感染対策という名の自由剥奪。マスクもあと少しあと少しで、一生させる気じゃないですか?
そして、パスポートが定着してしまったら、ワクチン接種が永遠に続くんですよね。
6か月ごとの定期接種。もっと先は3か月ごと、毎月と頻度を上げられ、接種開始年齢は生後6か月に引き下げられ、新型コロナワクチン以外にも様々なワクチンの接種が義務付けられる。こんな頻繁な毒物注入にいったいどれだけの人が耐えられるのでしょう?
製薬会社にはワクチンの全成分を公開する義務はないし、賠償責任もないので、やりたい放題。「これ、今まで入れたことなかったけど、ちょっと入れてみるか~」みたいなノリで、新しい成分も恣意的に付加されたりする可能性もある。この先、接種者にどういう症状が発生するかはまったくの未知数。
ワクチンを打てば自由に行動できるって言われても、体が動かなくなる可能性のほうが高くないですか?
ムーンショット計画が目論むとおり、生身の肉体ではなく、アバターが自由に行動できるだけになるのでは?
ワクチン接種済みの人は未接種者を快く思っていないのかもしれませんが、明日は我が身ということも考えてほしいです。
2回打って大丈夫でも、3回目で重い症状が出て動けなくなるかもしれない。なんとか動けても、4回目、5回目を打つ気力・体力は残っていないかもしれない。となると、結局、未接種者扱いで行動制限されることになります。
体が動くうちに従うことをやめておいたほうが良くないですか?
だまされたまま一生を終えたほうが幸せなんでしょうか?
この騒動が起きて、自分が社会になじめない理由がよくよく分かりました。
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