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    名前: Norah(のら)
    不健康な健康オタクという汚名を返上すべく、心穏やかに暮らす術を模索中。2012年に本格的にローフード生活に移行。菜食歴11年。

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2013年6月10日 (月)

エックハルト・トールさんの教え(瞑想とは)

瞑想しよう。雑念を払おう。そう思えば思うほど、頭の中のおしゃべりが止まりません。何も考えずにいるというのは、意外と大変なことだったんですね。

エックハルト・トール (Eckhart Tolle)さんは瞑想について、様々な機会を設けてお話されているようですが、次の動画では冒頭で、

瞑想をしているという考えが瞑想の成功の妨げになることがある

と話しておられます。禅問答のようで「???」って感じです。

YouTube: What is Meditation?

瞑想とは、行為(doing)ではなく存在(being)がまず先にあるべきものなのだそうです。行為の中には思考や感情も含まれると言っていますから、要は、思考や感情など一切の行為を取り払った後に残ったものが「自分という存在(I am)」なんでしょう。そして、この存在を実感すること(realization)が瞑想なのだと私は理解しました。

ただし、これは自分が何者であるかを実感することではないようです。宇宙全体の中に自分がどう収まるかといったところまで把握するのは不可能とか。頭で理解する必要はなく、自分の存在という生命、その生命の生き生きとしたさまを深いところで知覚しなさいということらしい…。

[5:12]
自分の存在を実感するにあたっては、少しの間、過去も未来もないものとして振る舞うこと(pretend)が助けになります。

「過去も未来もないものとして振る舞う」という言い方をしたのは、こう言えば全員が付いてこられると思ったからです。

もし私が「過去も未来もないのだ!」と言い切ってしまうと、「え? ちょっと待ってよ。1時間後には本にサインしてくれるんじゃなかったの??」などと考え始める人が出てくるかもしれませんから。

考え始めてしまうと、思考の世界、物質や意識対象の世界に入ってしまいます。

思考はひとつひとつが意識対象です。思考には引きつける力があり、思考が発生すると、注意がそこに引き寄せられます。

そして、考え始めます。「この会場に着いたのは30分前だったよなあ。これって過去だよねえ?」

この人が実感できていないのは、「今現在という瞬間」にこの会場にやってきたということ、そして、本へのサインも「今現在という瞬間」に行われるということです。なぜなら、「今現在という瞬間」以外は存在しないからです。

でも、このことを信じる必要はありません。とりあえず、過去も未来もないものとして振る舞ってみましょう。

上記の引用した部分、何度聞いても笑えます。この面白さを伝えたいと思ってこの記事を書いているわけですが、こういうユーモア(?)を訳すのって難しいですね。日本語訳ではうまく伝わっていない気がするので、お時間がある方は是非動画でエックハルトさんの話し方や表情、ジェスチャーなどもご覧になってみてください。

あと、この話の面白さが分からないというのは、英語が分からないからというより、概念的に分からないからということもあると思います。世間一般の教えとはかけ離れた完全に異質のものなので、精神世界系の本に馴染みがない人にとっては、まったく受け付けない概念かもしれません。

過去も未来もないと思う。あるいは、過去も未来も現在に比べたら大して重要ではないと思う。そうすることによって、自分の存在を実感するための入り口にたどりつけるようです。

雑念というのは、結局、過去や未来のことなんですよね。今日はこんなことがあった、明日はあれをやらなければ、といった近過去、近未来から、何十年も前にだれかに言われたことを執念深く反芻(はんすう)していたり、何十年か後の漠然とした将来(老後とか)に不安を抱いたりする遠過去、遠未来まで、範囲はさまざまですけど…。

自分で意識を制御しながらひとつの問題を考えるといった建設的な思考は雑念ではありません。雑念とは、無意識にとりとめなく、制御不能の状態でわき上がってくるもののことです。雑念が頭の中に出てくると、今現在に意識が向きません。その結果、次から次へと雑念がわき出てきて、瞑想状態からは遠のいてしまいます。

ただ、瞑想という特別な時間だけ今現在に意識を集中させるより、日常的にそういう状態を作り出すことのほうが望ましいそうです。

瞑想している間は心穏やかで悟りを開いたように思っても、俗世間の生活に戻ると、イライラしたり、憤慨したりということがよくあるらしいので、山奥で滝に打たれながら修行するより、街中で他の人間と接触して揉まれながら暮らしたほうが、霊性を高める修行としては難易度が高いそうです。

つまり、私を含め、多くの人は霊性を磨くのに格好の修行場で生活しているということになりますね(笑)。

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