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2013年2月 2日 (土)

忘れられない親切

今日はよもやま話です。

今、町内会の当番をやっている関係で、いろいろな資料を自分の地区内の人に回覧したり配布しています。そうした資料は基本的に、各当番が所定の場所に取りに行くのですが、まとまった量がある物については、役員さんが車で各当番の家まで届けてくれることになっています。

で、先日も、車で届けてもらったのですが、受け取った後、家の中で袋を確認したら別の地区の番号が書いてある(各地区、配布部数がそれぞれ違うので、別の地区のものではダメなんです)。間違っていることを伝えねばと、あわてて表に飛び出したんですが、ちょうど役員さんの車が走り去っていくところでした。私は大きく手を降ってアピールしたのだけど、あえなく車は視界から消えていきました…。

がっくり肩を落として、家に戻ろうとしたら、「どうしたんですか?」という声が聞こえてきました。道路を挟んではす向かいの家(10メートルほど先)の前でたむろしていた小学生らしき男の子達の一人でした。見ず知らずの私に向かって、その子がどうしてそんなことを聞いてくるのだろうと、少々怪訝に思いながらも、とりあえず簡単に事情を説明しました。そうしたら、その子ともう一人の子が自分たちの自転車に飛び乗って、車が行った方向に向かったんです。(ま、まさか、自転車で車を追いかけた???)

予期せぬ展開に気が動転して、右往左往。とにかく関係者の連絡先を探さねばと思い、家の中に戻ったんですが、数分も経たないうちに玄関の呼び鈴が鳴りました。ドアを開けると、役員さんと自転車少年達でした。(ええ~っ!?  自転車で車に追いついたの~?????)

真相は、役員さんが気付いて引き返してきたところで子どもたちと合流した、ということだったんですが、もう、ただ、ただ、びっくりしました。お礼かたがた話をしたら、その子たち、小学3年生だというではありませんか。小3ってことは8歳とか9歳ですよね。その年頃って、そんなにしっかりした行動が取れるんでしたっけ? (少なくとも私はその頃もっとボンヤリしていました。)

見ず知らずの大人(私)の窮状を察して、自分のほうから声をかけ、事情を飲み込み、自転車で車を追いかけるなんて…。私は興奮するとオーバーアクションになる傾向があり、そのときも夢中だったのでおそらく、「あ~、行かないで~、待って~、カムバ~ック!」という気持ちを全身全霊で表現してしまい、傍目にも分かりやすかったのかもしれません(笑)。しかし、だからといって、普通、子どもが大人に声をかけませんよね。世間の垢にまみれた中年の目には、その子達の純粋さがとってもまぶしくて、天使に見えました。

その後、この一件が引き金となって、大昔の記憶が蘇ってきました。

まだ十代の頃(医薬を盲信して、どっぷりお世話になっていた頃)、膝の靱帯を痛めて、病院通いをしている時期がありました。病院の真ん前にバス停があって、そこから私の家の近所に行くバスに乗れるんで、バスで通院していました。

ある日、その病院前の停留所でバスを待っていたとき、私の乗りたいバスが、手を挙げた私に気付かず通り過ぎて行きました。乗り損なってしまったんです。次のバスは1時間先。歩くと普通でも40分ぐらいかかる距離。靱帯を痛めてびっこをひいていた時だったんで、そんなに歩けない…。

うわ~ん、どうしよう、と思ったそのとき、別のバスが来て止まりました。行き先が違うバスなので、「乗りません」と伝えたんですが、その運転手さん、私が前のバスに乗り損なった一部始終を後ろから見ていて状況を了解していたらしく、「前のバスを追いかけてあげるから、早く乗りなさい」と言う。(ええ~っ!?前のバスを追いかける~?????)

2つ先のバス停は大きな駅なので乗降客が多い。前のバスはそこで停まっているはずだから、絶対に追いつける。そんなこと言われ、突然のことに混乱しながらも、その運転手さんの勢いに気圧されて、そのバスに乗り込みました。そして、2つ先の停留所に着くと、運転手さんの言ったとおり、前のバスが大勢の乗客を乗せるべく停まっていました。お礼を言って、運賃を払って降りようとしたら、運賃は要らないと言う(確かに前のバスに乗っていれば必要のない運賃だったんですが…)。他に言葉はなかったけど、「これで無事にバスに乗れるね。良かったね」という優しい気持ちが運転手さんの表情や仕草から伝わってきて、思わず涙が出そうになりました。

自転車少年もバスの運転手さんも、後光というか、なにか光のようなものが目や体から出ていたように思います。なんの見返りも求めない善行(こう書くと安っぽくなるので本当は嫌なんですが、他に書きようがなくて…)というのは、神がかり的、いや、神様そのものの行為なのかもしれませんね。大海を構成する海水の一滴一滴が海であるように、宇宙を構成するもの(人間を含め、動植物その他諸々)は一つ一つが小さな宇宙であり、その創造主(神様)の本質を備えているらしいですから。

スピリチュアルの世界では、人間の本質は形のないものと言われています。その本質というのは光で、普段は重い肉体とか思考によって、奥深くに閉じ込められ、表面に出てこないことが多いけど、なにかの拍子にふっと肉体から透けて出てくる。光背(後光とかhalo)というのは仏様とか聖人とかだけのものじゃなく、本来誰にでも備わっている光を表したものなんじゃないか。そんなことが頭に浮かんだ日でした。

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コメント

ちょいと御免よ^^/(菊^――^菊)ヾ\ ← のれん
近くを通ったので寄ってみました^^

自転車少年とバスの運転手さんの話、とても心に響きました^^
有り難うございます!
また来ます!
では!~~ε=ε=ε=ε=┏( 菊・_・)┛

投稿: サムライ菊の助 | 2013年2月11日 (月) 09時23分

★ サムライ菊の助さん
こんばんは。コメントありがとうございます!

心に響いたとのこと、嬉しいです。
こういう話は面と向かって事細かに話しにくいので、ブログやってて良かったと思いました(笑)。

投稿: Norah | 2013年2月11日 (月) 21時03分

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