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    名前: Norah(のら)
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2011年8月29日 (月)

原発ジプシー

3.11の震災直後に図書館で予約して順番待ちしていた『原発ジプシー』(堀江邦夫著)がようやく手元にやってきました。1984年発行(第1刷)の文庫本で相当年季が入っています。紙は日焼けしてもろくなっており、破れているページも複数ありましたが、幸い、欠けはなく、内容はすべて読むことができました。

著者の堀江さんは、1948年生まれで、道路工事現場の測量・監督、コンピュータ・エンジニア、ホテル・マンなどを経て、1974年からフリー・ライターになったとのことですが、「原発の素顔」を知りたいという思いに突き動かされて、1978年に一労働者として原発で働くことを決意されたようです。

そして、1978年9月~1979年4月までの約7か月間、美浜原子力発電所(福井県)、福島第1原子力発電所、敦賀原子力発電所(福井県)で実際に下請労働者として過酷な作業に従事され、その体験をまとめた本が『原発ジプシー』です。

想像を絶する劣悪な作業環境、重層下請構造でのピンハネ、ずさんな被曝管理、労働災害の隠蔽など、重苦しい話が続くのですが、私は仲間の労働者とのやりとりを非常に興味深く読みました。

当たり前なんですが、原発労働者も普通の人間で、いろいろな性格の人々の集合体なんですよね。仕事熱心な人、愚痴が多い人、人情味あふれる人、無口な人など様々で、年齢も10代から60代ぐらいまで幅広い。著者が大けがしたときに、日雇いだから休むと日当が入らないにも関わらず、何日も仕事を休んで看病してくれたり、辛い作業をしていると聞いたからと言って饅頭を差し入れに来てくれたり、著者の人徳もあるのでしょうが、そういう温かい心遣いをするお仲間たちの行動に思わずほろっとしてしまいました。

全編を通して、作業環境や作業内容が克明に記されているので、きつい仕事をしながら一体どうやって記録していたのかなあと思っていたら、あとがきに次のような記述がありました。

…私は、七カ月間にわたる体験を文章化するにあたって、日々書きためたメモを可能なかぎり忠実に原稿用紙に書き写すことに努めた。管理区域内には筆記用具やメモ帳を持ちこめないため、そこでの体験は、区域外に出るとすぐにトイレにもぐりこんだり、バスに乗ったりしてこっそりとメモをとらなければならなかった…

吐き気を催したり失神したりするような労働の後に、急いでメモを取っていたのかと思うと、そのプロ根性に頭が下がります。そして、当時はまだ「原稿用紙」の時代だったんですよね。ワープロやパソコンじゃなく、手書き…。推敲作業など、大変だったと思います。でも、文章がとても巧みで、ぐいぐいと内容に引きつけられ、私はいっきに読んでしまいました。

また、著者は1979年の3月、福島第1で作業していたのですが、

   3月11日(日) 明け方の5時ごろ、地震で目を覚ます。かなり長いあいだ揺れていた。日中は強風が吹き荒れ、東北線が一時不通になった。
   一人きりの日曜日。メモの整理、洗濯。

とあり、32年後を暗示しているようで、背筋に冷たいものが走りました。

この本を読むと、原発は事故が起きなくても、定期検査で大勢の人を被曝させてきたことがはっきり分かります。あとがきによると、(財)放射線従事者中央登録センター(原子力施設で放射線業務に携わる人の被ばく量を管理する機関)が発表した1984年3月末現在の登録者件数(電力会社の社員も含む)は、17万4560名だったそうです。そして、「原爆による広島市民の死亡者は、広島市役所の調べによると、1969年まで約20万名といわれています。原発労働者の登録件数と大差ありません」と書かれています。

それから30年近くたち、原子炉の数も倍増し、今年は大事故まで発生。放射線従事者のみならず、一般市民も被曝させられています。空気、水、土壌、食材が汚染され、被曝者の数は、今現在いったいどれぐらいまで膨れ上がっているのでしょう。原爆の被害者を軽く超えているはずです。これが原子力の「平和利用」ってことなんでしょうか。

※ 今年の5月に増補改訂版が出たようです。

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