弱者のためのおまじない
菜食主義などという世間の大勢とは異なるライフスタイルを貫こうとすると、色々と問題にぶちあたって、疲れてしまったりすることもあるかと思います。
信念をもって生活していても、その信念が世間の「常識」と合致していない場合、なにかと軋轢(あつれき)が生じ、周囲に迎合したほうが楽に生きられるんじゃないかと思うこともあるでしょう。
私も面倒だと思ったことは何度もあります。ただ、5年以上続いているのは、菜食で肉体的、精神的に救われたことが大きいので、昔に戻りたいとは思わないからだと思います。
また、もともと社交的なほうではなく、団体行動より個人プレイが好きな天の邪鬼(あまのじゃく)なので、周りと違う生き方をさほど負担と感じていないのかもしれません(笑)。
とはいえ、世間の多数派に属さない少数派として、どうしたらうまく立ち回れるか、どうしたら生きやすくなるか、答えがほしいなと常々思っていました。
先日、ひろ さちやさんの『「狂い」のすすめ』を読んていたら、ヒントとなるようなことが書かれていました。
青臭いようなことを言いますが、わたしは思想・哲学というものが、苦しみの現実と闘う武器になると思います。
世の中をすいすいと泳いで生きていけるのであれば、なにも思想・哲学を必要としません。強者にとっては世の中が味方になってくれますから、闘う必要がないからです。
だが、弱者にとっては、世間は冷酷です。弱者は世間の流れに棹(さお)さして生きることができません。いつの世にあっても、弱者は世間とよそよそしい関係になってしまうのです。そして世間は彼に重圧をかけてきます。弱者は世間の除け者にされ、場合によっては世間から糾弾(きゅうだん)されます。
そんなとき、弱者にとって思想や哲学が一つの武器になります。
「思想をもつ」というと、革命の闘士となり、身を挺(てい)して自らの主義思想の普及に邁進(まいしん)せねばならないような気もしてしまいますが、ひろさちやさんが言おうとされているのはそういうことではなさそうです。
思想・哲学を持つといっても、大したことではありません。
まあ、わたしたちは、自分が弱者だと自覚することです。
強者に対しては、世間のほうが遠慮してくれます。強者を叩くなんてことはしない。
考えてみれば、世間を維持しているのが強者です。いや、世間の甘い汁を吸って生きているのが強者であって、その甘い汁を吸っている連中の集合体を名づけて"世間"と呼んでいるわけですから、世間イコール強者なんです。だから、世間は強者を叩かない。
叩かれるのは弱者です。そして、弱者は甘い汁を吸われる。
で、わたしたちは、そのことをはっきりと認識すればよい。自覚するとよいのです。
そう自覚するだけで、少し状況が変わってきます。
なぜなら、弱者は自分の思想・哲学を持っていません。持っていないのではなしに、正確にいえば持ってはいけないとされているのです。持つことを禁じられています。弱者が独自の思想・哲学を持てば、強者は甘い汁を吸えなくなり、利益が激減するから困るのです。それで巧妙に、弱者に思想を持たせないようにしています。そういう社会のカラクリになっています。
天の邪鬼好みのものの見方で、個人的に非常に気に入りました。弱者と自覚しつつ自分独自の思想を堅持する。
弱者なんですから、強者の集団に真っ向から戦いを挑んでも勝ち目はありません。でも、自分の気持ちがくじけないよう、確固とした思想をもっていることが大切なんですね。
〈みなさんはそうおっしゃいますがね、わたしはそうは思いませんよ……〉
と心の中で呟(つぶや)く、それだけのことです。
心が弱ったときは、このおまじないを唱えてみようと思います。
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